定義のない証明問題

人はうまく生きられないものです。
こんばんは、僕です。

神様は生きるということに対して僕らに問いかけることはしても、その答えまでは与えてくれません。
よってその問いに対する答えは存在しません。

きっとうまく生きる方法なんてないのでしょう。

「うまく生きることは逃げること」

だから僕はそう信じて生きてきました。
正しいとは思っていません。
しかし、答えがないのなら、その答えは自分で決めなければならないと思います。
つまりこれは僕の定理です。

人はどうしてうまく生きることができないのか?
その問いに対して僕はこう考えます。
生きるということに対する答えはない、だけどその答えを生きているうちに見つけなければならない、そして自分なりの答えで生きていかなければならない、だから人はうまく生きられない、と。

生きることは極めて数学的です。
例えるならそれは図形の証明問題でしょうか。
自分の定理を、自分が生きることで「間違いではなかった」と証明する過程です。
その過程は帰納的でもあり、演繹的でもあると言えます。
ただ図形の証明と唯一異なる点、それはそこに定義が存在しないこと。
だから、なかなか解けない(笑)

そういう意味では正しい生き方もこの世には存在しないのかもしれません。

「正しく生きることは逃げないこと」

しかし、僕はこう思いたいです。
ここにも同様に絶対的な正しさは存在しません。
僕がそう信じる、というだけです。

逃げないことは大変なことです。
越えても越えても、高い高い壁が、いくつもいくつもやってきます。
それに立ち向かい続けるわけですから。

しかし壁は越えられるから壁なんだと思います。

逆に越えられないものは何と呼ぶんでしょう。
そんなことは知りません。

時に壁と対峙し、自分がこれからどうなってしまうのかさえ分からなくなることもあるでしょう。
自信をなくしたり、未来が描けなくなってしまったりするかもしれません。

でも、それこそが正しく生きていることの証だと僕は思います。
いや信じます、もしくは願います。

今、目の前に高い高い壁があって、すぐには越えられないと思うなら、それを越えるために少しくらい休んでもいいじゃないですか。

高く跳ぶためには深くしゃがみ込むことが、そして遠くに跳ぶためには長い助走が必要なんですから。

それは逃げていることとは違います。

立派に立ち向かっていると思います。

うまく生きられなくても、十分すぎるほど正しく生きていると思います。

生きるという問いに対する答えがないから、うまく生きられないから、だからこそ人間は生きていけるような気がします
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by FC.ryouchan | 2006-01-26 03:10 | others
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